こんにちは!Runa旅です!
今日も寒いですね〜。今年も残すところ半月となりましたね。寒い日が続きますと恋しくなるものはなんでしょうか?
観光バスでご案内しますご旅行も冬になると温泉地への宿泊が格段に増えてきます。もちろんRuna旅も大好きです!!日中お客様と歩き回り疲労の溜まった身体にしみわたります。思い出しただけでいきたくなります。
今回はそんな温泉についての雑学をお話しますね。
皆さんはいつ頃から温泉マークが使い始められたかご存知ですか??
今回は有名な発祥説を2つご紹介いたします。
日本で最古の温泉マークは群馬県にある磯部温泉を示したものでした。
1661年(万治4年)農民の土地争いを収めるための評決文『上野国碓氷群上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚』が江戸幕府より出されました。そのなかに記されたのが磯部温泉を示した2つの温泉マークと言われております。現在磯部温泉には温泉マーク発祥の地を記念しまして、磯部公園と長寿館前の2ヶ所に記念碑が設置されております。また、磯部公園内には日本最古の温泉マークが刻まれた石碑もございます。
別府観光開発の先駆者として知られる油屋 熊八(あぶらや くまはち)は1863年(文久3年)、愛媛県宇和島にお生まれになりました。米問屋の息子として小さな頃から手伝い、手がとても大きくなったという油屋 熊八は1911年(昭和44年)大分県別府に亀の井旅館(現・亀の井ホテル)をオープンしました。生来の行動力と豊富なアイディアで別府温泉を全国に知られる一大温泉地に押し上げました。
1931年(昭和6年)亀の井旅館創業20周年のイベントでは『全国大掌大会』を企画し、全国より手形を集めました。この中の上位20名をホテルに招待し大会を開催いたしました。お客様も大勢訪れまして大盛況に終わったそうです。全国より集めた大量の手形の中には完全に写っていないものもありました。
その中の手形の一つを眺めていると、人差し指・中指・薬指が湯気に、親指から手のひらの縁を通り小指に至るところが湯船に見えてきたそうです。これをヒントに温泉マークを発案しまして以後、別府のPRに利用いたしました。
温泉マークひとつをとりましても発祥説は日本各地にございます。それぞれの物語を知り訪れる温泉はなんだか感慨深いものになりますね。
お着き菓子について知りたい方は『温泉旅館のおもてなし〜お着き菓子〜』も合わせてお読みください。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。