こんばんは!Runa旅です!
皆さんはバスガイド付きの旅行といえば何が楽しみですか?
観光地や土地のご案内の他にも土地の名物や民謡を楽しみにしてくださるお客様もいらっしゃいます。土地の特色の色濃い民謡を知っていただくととても面白いものです。その上、日本伝統の民謡は海外からのお客様をお乗せした時にもご紹介するととても喜ばれます。
それでは、今回は福岡民謡『黒田節』をご紹介いたします。
ぜひ、バスに乗車している気持ちでお読みいただけると嬉しいです。
福岡民謡『黒田節』は京・伏見で誕生したと言われております。儒学者・貝原益軒のまとめた『黒田家臣伝』の逸話が元になっております。
黒田藩の武士の間で当時はやっておりましたのが雅楽の越天楽のメロディーに様々な歌詞を当てはめて歌うものでした。黒田節はそこから生まれたと言われております。その後、昭和初期に『黒田武士』としてレコード化され全国へ広まりました。
黒田二十四騎の1人、母里友信。通称・母里太兵衛は『黒田節』のモデルになった人物として知られております。黒田節の主人公・母里太兵衛は槍の名手、剛力の勇将として知られております。その反面、“フカ(サメ)”と言われるほどの酒豪・母里太兵衛として名を馳せておりました。
それでは物語をご紹介いたします。
文禄・慶長の役休戦中、福島正則氏より宴会の誘いがありました。その際、長政公は家臣の母里太兵衛を代理で送り出し、出発の時「決して酒を飲むでないぞ!」と何度も釘を刺したとか。
伏見城へ到着した母里太兵衛一行。到着すると正則氏自ら出迎えられました。
そして「よう来られた、これに一献」と大きな盃を差し出されたのです。しかしながら、「藩主との約束ゆえ…」とお断り致します。正則氏はそれでも「祝いの席である。これに一献」と進めて参ります。頭を悩ませる母里太兵衛。すると、「これに一献空けたならば、好きなものを褒美にやろう」とおっしゃったのです。すると母里太兵衛は「なんでもでございますか?」と尋ねます。「武士に二言はない。なんでもやろう」と。
それを聞いた母里太兵衛は一気に飲み干しました。正則氏は「これは愉快だ。褒美は何がいいか」と。母里太兵衛は「秀吉公より頂戴したと聞く名槍・日本号がほしゅうございます」と申しました。「それだけはやれぬ。他のものではいかがか?」とおっしゃいます。それを聞いた母里太兵衛はこう言い放ったのです。「それでは私は何も要りませぬ。けれど、福島正則氏は大嘘つきであると陣中触れ回るがよろしいか?」
とうとう正則氏は泣く泣く、名槍・日本号を褒美に差し出したと言われております。
福岡をご案内しております時にはよく、『黒田節』をお歌いいたします。この物語もわかりやすく、聞きやすく簡単にしたものです。歌の背景を知りますと大変聞き応えもありますね。この他にも黒田節のモデル・母里太兵衛の逸話はいくつも残されております。
今回も最後まで目を通していただきありがとうございます。