現役バスガイドの旅

沖縄戦の記憶を未来へ~平和の礎

平和の礎

皆さん、こんにちわ!

Runa旅です。

今回は沖縄戦の 最終決戦地・摩文仁の丘 に作られた平和の公園の平和の礎についてお話しいたします。戦争で亡くなった方々を追悼し、平和の大切さを伝えるために整備された平和公園。

この地では 1945年6月23日、日本軍の組織的な戦闘が終結しました。そのため、沖縄ではこの日を 「慰霊の日」 として、戦没者を悼む時間が今も続いております。

平和の礎とは?

それではまず、礎とは「平和の基盤」「支え」という意味がございます。この碑には 沖縄戦や太平洋戦争で亡くなったすべての人の名前 が刻まれております。 

一般的な戦争慰霊碑は「〇〇師団戦没者」や「〇〇部隊戦死者」といった軍人中心のものが多いですが、この「平和の礎」は 軍人・民間人の区別なく、国籍を問わず、戦争の犠牲となったすべての人々 を追悼するために作られました。

沖縄戦では実は県民の4人に1人が犠牲になりました。戦争の恐ろしさを知る沖縄の人々だからこそ、「敵味方を超えて、すべての犠牲者を悼む」という想いが込められております。

礎に刻まれた名前の数

現在、礎に刻まれている名前の総数は 24万余り(2023年時点)。その内訳は、

沖縄県出身者:約15万人

日本本土出身者:約7万人

アメリカ軍:約1万4千人

朝鮮・台湾・中国などの出身者:約1万人

となっています。意外とアメリカ兵の名前が多いと思われたかもしれませんね。沖縄戦は 日米双方が大きな犠牲を出した戦いでした。

また、日本軍の朝鮮人軍夫や台湾出身の兵士の名前も刻まれています。「戦争の犠牲者は日本人だけではない」ということを、礎は私たちに教えてくれるんですね。

名前を探してみてください

皆さんも、石碑に近づいて名前をひとつひとつ見てみてください。ここに刻まれておりますのは単なる戦死者の数字ではなく、実際に生きていた方々の名前です。

「戦争の記憶を未来に伝えるために何ができるか?」

「平和とは何か?」

そんなことを考えながら、礎の前に立ってみてください。

平和の礎〜沖縄戦の記憶を未来へ

そして毎年6月23日の慰霊の日には、ここで平和祈念式典が開かれます。そのとき、ここに刻まれた名前を見つめながら手を合わせる人々の姿があります。

戦争の悲しみを二度と繰り返さないために…。

その想いを、礎は静かに語りかけています。

合わせて”慶良間諸島への上陸作戦””ひめゆり学徒隊〜相思樹の歌”もご覧ください。

本日も最後までありがとうございました。

コメントを残す